「ブルーロック」で学ぶ、恋愛テクニック!

みなさんこんにちは、ヤコです。

 

今、最も熱いサッカー漫画「ブルーロック」をご存知でしょうか?
サッカー×デスゲームという斬新な組み合わせ、そして主人公たちが己の「エゴ」に目覚め、成長を繰り返していく姿は、サッカーにあまり詳しくない人でも楽しめて、そして多くを学べます。

このブルーロックには、多くの名言がありますが、その中でも「恋愛に使えるな!」という考え方があったので、ご紹介します。

ちなみに漫画本編では、恋愛要素は一切ありません!

…が、男同士の重い感情のぶつかり合いや、歪んだ感情をもったキャラが多くいるので、ある意味恋愛要素は盛りだくさんと言えるかもしれません。

それでは紹介していきます!

 

1.どれだけ他者(だれか)の心をノックしたとしても 人は他人(ひと)を変えることは出来ない!だからいつだって自分が変わるしかない!

主人公・潔の名言です。

自分勝手にプレーするチームメイトの馬狼に潔が合わせることで、彼が自分に合わせたプレーをしてくれると期待していました。しかし、それは潔の間違った期待でした。
他人に変化を求めるのではなく、自分が変化することで潔は馬狼を凌駕し、自分自身のゴールに繋げました。

恋愛も同じです。

いくら好きな人に気持ちを伝え続けても、相手の気持ちは変わらないでしょう。

相手に期待し続けたところで、きっと変わることはないでしょうし、いつからか変わらない相手に対しての不満すら抱いてしまうのではないでしょうか。

だからこそ、自分が変わる必要があるのです。

自分を磨き、自信を持ち、魅力的な人間になることでようやく、好きな人を振り向かすことができます。

それ以上に、自分の見えていた世界も変わり、よりよい相手と巡り合えるかもしれません。

どちらにせよ、自分を変えることこそが、現状打破の第一歩です。

 

2.絶望しても尚戦わんとする人間に夢を叶える能力は宿る

ブルーロックの管理者・絵心甚八の名言。

勝負の世界では、勝者と敗者が生まれるのは当然のこと。

大切なのは、敗北から何を学ぶか。

敗北した瞬間にその事実から目を背けず、徹底的に絶望する。

その絶望の中から光を見出し、前に進める人間こそが「夢を叶える人間」ということです。

恋愛ではどうでしょうか?

失恋とは、恋愛をするものにとって一番の苦しみであり、絶望です。

適当な言い訳をし、その失敗から目を背ければ、同じ失敗を繰り返し、それ以上前に進めません。また同じことの繰り返しをしてしまうでしょう。

まずはその敗北を徹底的に受け入れ、自分の何が悪かったのか、何が足りなかったのか、次はどうすればいいのか…などを逃げずに考えます。

そしてようやく、自分がやりたいこと、それを実現するためにやるべきことに向かって進みだせます。

それが次の恋愛かもしれませんし、仕事や趣味、自分の時間の充実かもしれません。その答えは、絶望し、考え抜いた先にしかありません。

自分自身を見つめ直し、改善し、そして前に進むことを忘れてはいけません。

 

3.「選ばれる方」じゃなくて「選ぶ方」になれよ

主人公・潔が、対戦相手の御影玲王に言った言葉です。

選ばれなかった恨み節を、元チームメイトの凪にぶつける玲王でしたが、凪に面倒くさいと突き放されます。そして追い打ちのように潔がこのセリフを吐きます。

ちなみにこのシーン、玲王の言い分もよくわかります。

告白して振られたときに「○○くんはすごくいい人で…」みたいに言われた方も多いと思いますが、「なら付き合えよ!!」って思っちゃいますよね。

本編が気になる方は是非読んでみてください。

このセリフで気に入っている部分は「選ばれる方」と「選ぶ方」という比較をしているところです。

あくまで「選ばれない方」と「選ばれる方」の比較じゃないのがポイントです。

セリフの意図としては、「受け身」じゃなくて「主体」になれということだとは思いますが、僕はこの二者の比較をしている点が重要だと思っています。

恋愛をしていると「選ばれない方」になるということが多々あります。

だからこそ「選ばれる方」になろうと頑張ります。

ですが、これでは不充分です。

真の勝者は「選ぶ方」なのです。

そこを見落としてしまうと、一生敗者のままでしょう。

それ以前にいい出会いはないでしょうし、たとえあったとしても「選ばれない方」、もしくは苦しみながら「選ばれる方」になれるように自分を捻じ曲げます。

選ぶ方でなければ、自分というものが相手の選択に左右され、喜びも後悔も自分で選択できません。他人の人生を生きてしまっているとも言えます。

それでは辛いだけです。

「選ぶ方」になるためにはまず、自分自身が魅力的な人間になるしかありません。

一番簡単で、誰でもできる方法が目の前にあります。

最初の名言と同じく、自分が変わるしかないのです。

何でもいいです、見た目に気を遣ったり、仕事を頑張ったり、趣味を極めたり…方法は無数にあるはずです。

やるかやらないかはあなた次第です。

もちろん「選ばれる方」が悪いということではありません。好きな人に選ばれたのなら、それ以上に嬉しいことはありません。

あくまで考え方、スタンスの問題です。

「選ぶ方」になるという意識、そのくらい魅力的な人間になることが重要だと言うことです。

 

ということで恋愛で使えるブルーロックの名言を紹介しました!
ではまた!

 

 

 

「黄金の果実」を求めて: 目的を見失わないための物語

ある旅人が砂漠をさまよっていました。飲み水も食料も底をつき、限界は目の前に迫っています。

しかし、そのときに彼は、砂漠の中に生えている果実を見つけました。その果実は、黄金に輝き、生命力に満ちあふれていました。旅人がそれを食べると、彼は奇跡的に生き延びることができました。

数年後、彼は再び砂漠をさまよっていました。その果実を食べたいと願い、町での安定した生活を捨てて再び旅に出たのです。

しかし、彼は果実がすぐ近くにあったにもかかわらず、それを見つけることができませんでした。同じ果実でも、彼にとってはもう黄金に輝いて見えていなかったのです。彼は、あの時のような奇跡的な出来事が再び起こることを望み、存在しない「黄金の果実」に夢中になっていました。

結局、彼は「黄金の果実」を探し続けましたが、それを見つけることはできず、再び町に帰ることもできませんでした。彼は自分自身が本当に必要としているものを見失ってしまい、「黄金の果実」に取り憑かれてしまったのです。

 

==================

「黄金の果実」とは、何かしらの価値があると認識されているものを追い求めることで、自分自身が本当に必要としているものや現実との乖離を見失うことを表したメタファーです。
旅人が「黄金の果実」と思い込んでいた果実がただの果物であったように、追い求めているものが本当に自分自身に必要なものであるかどうかを見失ってしまうことがあります。

また、人々が過去の成功体験や幸福な瞬間にこだわり、それを再現しようとすることが、現在の幸福を見失ってしまう危険性を示しています。旅人が再び「黄金の果実」を探し続けることで、彼は現在に焦点を当てず、過去の成功体験に縛られてしまいました。

このメタファーは、人生の様々な場面に当てはめることができ、例えば仕事や人間関係において、自分自身が本当に望むものを見失ってしまうことがあるということを示しています。

みなさんも一度立ち止まり、自分にとって本当に大切なものが何かをよく考えてみることも大切です。

そんなみなさんを僕は心から応援しています。

「黄金の果実」に縛られず、新たな可能性に向かう

みなさんは「黄金の果実」に囚われていませんか?

 

ここでの「黄金の果実」とは、その人が生んだ手の届かない幻想のことです。

人は自分が手に入れたいと思う何かを過大に評価し、それが唯一無二の価値のあるものだと錯覚してしまいます

  • 恋愛において、いくらでも別の素敵な人がいるのに、その人に執着したり
  • 受験において、その学校でなくても多くを学べるのに、その学校に執着したり
  • 就職において、別の職場じゃなくても夢は叶えられるのに、そこに執着したり

現実的には、追い求める「黄金の果実」がただの果実かもしれないし、そもそも自分自身が望むものと異なっているかもしれません。

ですが、追い求めるものに対して途方もない執着が付きまといます。

執着は「好き」や「欲しい」とは異なる要素を含んでいます。

好きであることや欲しいと思うことは、その対象に向けられるポジティブな感情です。

しかし、執着はその対象に対して過剰な固執や強迫的な欲求を含んでいます

執着は、それらが過剰になり、個人の生活や幸福に悪影響を与えることがあります。

また、失うことへの恐怖やコントロールを得ようとする欲求にも基づいています。

 

また、「黄金の果実」はそれに出会った個人の状況や環境が影響しているはずです。

  • 恋愛なら、その人が絶望的な孤独から救ってくれたとか
  • 受験なら、目標がなかった自分に頑張る目標を与えてくれたとか
  • 就職なら、夢がなかった自分に、生きる意味を教えてくれたとか

絶望や虚無の状態から出会い、そこから自分を救い出してくれたものは黄金に輝いて見えたはずです。

もちろん、その出会い自体は素晴らしいです。

でも、それに執着してしまうと心身を滅ぼしてしまいます

 

「黄金の果実」は絶対に手に入らないわけではありません。

正確に言うと、手に入った時はそれは「黄金の果実」ではなく、ただの現実です。

もちろん、これは素晴らしいことです。

一度手に入れば、それの良いところも悪いところも見えてくるからです。

子どものころ欲しかったゲームやおもちゃは、手に入れる前はキラキラ輝いていたはずです。

手に入れたおもちゃは理想通りだったかもしれないし、想像以上にイマイチだったかもしれません。

それがイマイチでも、何か価値を見出し、興味を深めていくことができるかもしれません。

また、どれだけ理想通りでも、最初感じていた輝きは小さくなり、次のおもちゃをほしがっていたでしょう。

そういうことを含めて、求めているものの現実を知っていくというのは大切です。

だからこそ、次の目標や欲しいものに向けて人はもっと前に進むことができます。

でも先ほども言ったように、手に入らないものに執着しだすと取り返しがつきません

例えば、出会いを失った時に失望や絶望に陥り、自分を救い出してくれたものを失ったと感じ、再び虚無感や絶望感に陥ってしまうこともあります。

また、その出会いに固執しすぎて、自分自身や他の大切なものを犠牲にしてしまうこともあるでしょう。

「黄金の果実」の厄介なところはそこにあります。

手に入らなければ入らないほど、幻想の中のそれは輝きを増していきます。

良い記憶だけが残り、悪い記憶は欠落していきます。

そして欠落した部分には、自分の理想が入っていきます。

気づけば完璧な「黄金の果実」が完成してしまいます。

世界中どこを探しても見つかるわけもないし、それ以上のものにも絶対出会えません。

「黄金の果実」とはただの手に入らない理想ではなく、この世に絶対存在しない何かであり、自分の中で膨らみ続ける妄想です。

それを追い求めるのは、「目標に向かって頑張る」とか「夢に向かって努力する」とは違います。

身近にあるはずの何かを、手の届かない何かに自ら置き換えてしまっているのです。

だからこそ「黄金の果実」が実際はただの果実だと言うことを忘れず、時には自分が本当に手に入れたいと思っているものを見直すことが必要であり、それ以上に素晴らしいものが見つかることもあります。

また、その過程で自分自身を磨くことができ、自分にとって本当に大切なものに気付くこともあるはずです。

人生には辛い出来事や困難がつきものですが、それでも前に進んでいくことで新しい可能性や出会いが生まれることもあります。

また、時には自分を労わり、立ち止まって休息を取ることも必要です。

自分に向き合い、自分自身を大切にすることで、今後の人生においてもより素敵なものに出会うことができるでしょう。

 

僕はそんなみなさんを応援しています。

ここまで読んでいただきありがとうございます。