「黄金の果実」に縛られず、新たな可能性に向かう

みなさんは「黄金の果実」に囚われていませんか?

 

ここでの「黄金の果実」とは、その人が生んだ手の届かない幻想のことです。

人は自分が手に入れたいと思う何かを過大に評価し、それが唯一無二の価値のあるものだと錯覚してしまいます

  • 恋愛において、いくらでも別の素敵な人がいるのに、その人に執着したり
  • 受験において、その学校でなくても多くを学べるのに、その学校に執着したり
  • 就職において、別の職場じゃなくても夢は叶えられるのに、そこに執着したり

現実的には、追い求める「黄金の果実」がただの果実かもしれないし、そもそも自分自身が望むものと異なっているかもしれません。

ですが、追い求めるものに対して途方もない執着が付きまといます。

執着は「好き」や「欲しい」とは異なる要素を含んでいます。

好きであることや欲しいと思うことは、その対象に向けられるポジティブな感情です。

しかし、執着はその対象に対して過剰な固執や強迫的な欲求を含んでいます

執着は、それらが過剰になり、個人の生活や幸福に悪影響を与えることがあります。

また、失うことへの恐怖やコントロールを得ようとする欲求にも基づいています。

 

また、「黄金の果実」はそれに出会った個人の状況や環境が影響しているはずです。

  • 恋愛なら、その人が絶望的な孤独から救ってくれたとか
  • 受験なら、目標がなかった自分に頑張る目標を与えてくれたとか
  • 就職なら、夢がなかった自分に、生きる意味を教えてくれたとか

絶望や虚無の状態から出会い、そこから自分を救い出してくれたものは黄金に輝いて見えたはずです。

もちろん、その出会い自体は素晴らしいです。

でも、それに執着してしまうと心身を滅ぼしてしまいます

 

「黄金の果実」は絶対に手に入らないわけではありません。

正確に言うと、手に入った時はそれは「黄金の果実」ではなく、ただの現実です。

もちろん、これは素晴らしいことです。

一度手に入れば、それの良いところも悪いところも見えてくるからです。

子どものころ欲しかったゲームやおもちゃは、手に入れる前はキラキラ輝いていたはずです。

手に入れたおもちゃは理想通りだったかもしれないし、想像以上にイマイチだったかもしれません。

それがイマイチでも、何か価値を見出し、興味を深めていくことができるかもしれません。

また、どれだけ理想通りでも、最初感じていた輝きは小さくなり、次のおもちゃをほしがっていたでしょう。

そういうことを含めて、求めているものの現実を知っていくというのは大切です。

だからこそ、次の目標や欲しいものに向けて人はもっと前に進むことができます。

でも先ほども言ったように、手に入らないものに執着しだすと取り返しがつきません

例えば、出会いを失った時に失望や絶望に陥り、自分を救い出してくれたものを失ったと感じ、再び虚無感や絶望感に陥ってしまうこともあります。

また、その出会いに固執しすぎて、自分自身や他の大切なものを犠牲にしてしまうこともあるでしょう。

「黄金の果実」の厄介なところはそこにあります。

手に入らなければ入らないほど、幻想の中のそれは輝きを増していきます。

良い記憶だけが残り、悪い記憶は欠落していきます。

そして欠落した部分には、自分の理想が入っていきます。

気づけば完璧な「黄金の果実」が完成してしまいます。

世界中どこを探しても見つかるわけもないし、それ以上のものにも絶対出会えません。

「黄金の果実」とはただの手に入らない理想ではなく、この世に絶対存在しない何かであり、自分の中で膨らみ続ける妄想です。

それを追い求めるのは、「目標に向かって頑張る」とか「夢に向かって努力する」とは違います。

身近にあるはずの何かを、手の届かない何かに自ら置き換えてしまっているのです。

だからこそ「黄金の果実」が実際はただの果実だと言うことを忘れず、時には自分が本当に手に入れたいと思っているものを見直すことが必要であり、それ以上に素晴らしいものが見つかることもあります。

また、その過程で自分自身を磨くことができ、自分にとって本当に大切なものに気付くこともあるはずです。

人生には辛い出来事や困難がつきものですが、それでも前に進んでいくことで新しい可能性や出会いが生まれることもあります。

また、時には自分を労わり、立ち止まって休息を取ることも必要です。

自分に向き合い、自分自身を大切にすることで、今後の人生においてもより素敵なものに出会うことができるでしょう。

 

僕はそんなみなさんを応援しています。

ここまで読んでいただきありがとうございます。